33 ありがたいお経

どうしてありがたいのか

 
十数年前に父が亡くなってから、親戚関係の冠婚葬祭に顔を出さないといけない機会が否応なく増えた。残念ながらお祝いよりもお悔やみの方が圧倒的に多いのだが、私の両親は共に兄弟姉妹が多いだけでなく、亡父からみるとそれなりに近しい人が亡くなったりしているので、それに伴って法事も付随してきてお経を耳にすることが多くなり、気がついたらお経本がなくても半分くらいは諳んじながらついていけるようになっていた。
 
で、そのくらいお経を数多く耳にしていると読経にも「上手」「下手」があることくらいはわかるようになる。
 
ここで読経について技術的に上手下手を論じる資格というか見識は私にはないが、その声が醸し出す音場については少しだけ御託を並べることができそうなので今回はその話。
 
誰がが「あのお坊さんのお経はありがたい」と口にしているのを耳にしたことがあるかもしれないが、例えば高僧による読経をありがたいというふうに感じる人がいるのを私は否定はしない。むしろ修行を積む中には読経を上手くできるようになる修行もあるはずなので、そういうふうに感じる人がいるのは当然だと思っている。でも、少しだけ科学的に言うと、ありがたさを左右しているのは高僧その人よりも「倍音」だと私は考えている。
 
馴染みのない人のために倍音とは何かと言うと、声や楽器の音に含まれるメインの音階とは違う音階の音のことで、例えば、「ド」の音を「ドーーー」と声に出すと小さい音量で「ソ」の音が「ポーーー」と鳴り、更に1オクターブ上の「ド」が「コーーー」と鳴っていたりするわけ。よく気にして聴かないと気がつかないけどそうなのである。
 
自分では分かりにくいので、誰か響きのある声を持った人に声を出してもらって、それを注意深く聞いてみると分かりやすい。声を出している人から斜め上に少し離れた辺りで倍音が鳴っていることに気がつくと思う。
 
ちなみに、その倍音の音階を狙って同時に声を出すといわゆる「ハーモニー」となって音が厚みを増すというか響きが膨らむわけ。
 
さて、葬式とかで何人かの坊さんが同時に読経する場合、ユニゾンなことがあるので皆がほぼ同じ音階で声を出しているわけだけど、そうすると倍音が重なってより大きく聞こえるようになる。この倍音の音量が大きいと聴いている方には、何やら「ポワーーーン」みたいな響きに包まれたようになり心地よくなったりするわけ。
 
これがありがたいお経の正体。つまり、声の響きが良く倍音がより鳴るお坊さんの読経ほどありがたく聴こえるわけ。
 
なんで、そーゆー風に断言できるのだ。と思う人もいると思うが、お経は歌でいうところの歌詞に当たり、当然のことながらその言葉には意味があるわけだけれども、その意味を全て解って聴いている一般人はほとんどいない。むしろ、ほとんど理解しないまま聴いたり自分でも読経しているのが実状で、かく言う私もその一人。
 
つまり、読経を聴いている人は、お経の持つ意味合いに感銘しているのではなく、お坊さんが読経する時に発する声に影響を受けている人がほとんどなわけで、倍音の存在を知らない人がうまい読経を聴くと何だかわからないけど少し心地よくなって「ありがたい」と感じるのである。
 
ない方がいいんだけど、不幸にも葬儀に参列する機会があったら気にしてみるといい、お坊さんの声に混じって「ぼーーー」とか「コーーー」って鳴っている倍音の存在とその効力を知ることができると思う。
 

(2012.04.14作成)(2019.06.03校正)