23 自転車の練習

補助輪にサヨナラ

 
ところで、補助輪付きの自転車から卒業する時というのは、大抵の人が子どもの頃に通る試練だけど、最近は昔のように転倒を繰り返しながら乗れるようになる典型パターンは減ってきている。
 
何故かというと、最近の子ども用自転車のペダルは脱着式になっているから。
 
「それがどーしたの?」って声が聞こえそうだけど、ペダルを外せば両足で地面を蹴りながら自転車に乗り続けることができる。つまり転倒する危険性が激減することになる。それで、そうこうしているうちにバランス感覚が出てきて足を着かずに惰力で乗れるようになって、最後にはペダルを装着しても乗れるようになるわけ。しかも、この練習の仕方が自転車の取説に載っている。
 
でも、昔はそんなモノは一切なかったので子どもにとっては結構敷居の高い関門だった。
 
で、僕の場合はなんちゅーか、こう、、派手な感じだった。それは父親に自転車の後ろを持ってもらって走り出すという、そのプロセスとしては良くあるパターン。
 
自宅のすぐ下の道路で練習することになったんだけど、当時その道路の進行方向左側は2メートル程の高さで垂直に落ち込んでいて、路肩から1メートル程の幅をおいて大きな屋敷の土塀がその道路と同じくらいの高さで道路に沿って続いているという、いわば「垂直な谷」のようになっていた。
 
そんでもって、父親が自転車を後ろで支えてくれていると信じて疑わなかった僕はスルスルと走り出し、あっさりと補助輪無しで走っていたわけだけど、ふと後ろを振り向くと父親の姿は遥か彼方、スタート地点にあった。
 
今でもそうだけど、気の弱かった僕は後ろを振り向いたまま泣き出した。しかも振り向いた方向が左側だったのがいけなかった。泣くじゃくる僕を乗せた自転車は左にそれ、ガードレールなんかない道路の路肩へふらふらと進んで、そのまま吸い込まれるように谷底へ、、、。
 
気がつくと僕は「垂直な谷」の底に転がっていた。
 
本人の僕も怖かったけど、父親もさぞかし怖かったと思う。だって、泣きじゃくる我が子が、道路から2メートル下に垂直落下して視界から消え去るんだから。
 
頭から落ちて首の骨でも折ろうものならイチコロだし、打ち所が悪ければやはりそのままオサラバになってしまう。そうでなくても、自転車が上から降ってきたら大怪我間違いなし。
 
本当に幸いなことに、僕は首の骨を折ることも打ち所が悪くてそのままになることも、さらには自転車がたまたま路肩にあった樹の切り株に引っかかって上から降ってくることもなく、というか怪我一つなく済んだ。今までの僕の人生で起こった奇跡の一つだった。
 
たぶん、この危機を境に僕は補助輪にサヨナラができたんだと思う。うん、この世にサヨナラでなくてよかったよかった。
 
 

(2009.8.29作成)